2011年12月10日土曜日

【富士急行1980年代】1988年2月、富士急の雪の日。JR中央東線115系山スカ


■115系電車が最後の国鉄近郊型になるか
113系電車の牙城だった房総半島がいまや走るんです209系電車に席巻されたいま、抑速ブレーキがついた113系の勾配路線対応型ともいえる115系電車は東日本では最後まで残る国鉄型車両になりそうな勢いだ。

上越線、信越線、吾妻線、両毛線、中央東線、越後線、弥彦線、そしてしなの鉄道で日々黙々と走り、北陸新幹線開業後の信越線第三セクター化区間でもおそらく活躍することになるだろう。


■山スカは絶滅危惧種
ただし、予想外の長期の健闘をしつつも貴重な存在として絶滅危惧種ともいえるのが中央東線の山スカ……横須賀色の3連およびM40編成(6連)なのではないか。

今回の写真は富士急を訪問した際に写した山スカをお目にかけたい。「山スカ」とは21世紀になると「登山用スカート」の略称のほうが広まっているだろうか。また、上の世代の方では「横須賀線用に開発された70系のモハ71形こそが『山スカ』であり、115系をそう呼ぶのはおかしい」という意見もあるようだ。筆者はそのあたりは「中央東線の横須賀色115系をそう呼んでも悪くはないのではないか」派だ。

掲載しているのは、1988(昭和63)年2月の大雪の日に撮ったJR中央東線から富士急に乗り入れてくる列車だ。大雪予報で学校が休みの平日であることを前日に知り、友人に声をかけて「どこか雪景色で撮影できる場所に行こう」と考えて、富士急行沿線を訪問したはずだ。

いま見ると、JR化後にもまだ大目玉の原型ライトでユニット窓ではなくさらに非冷房の編成がいたんだと改めて驚かされる。いまでも変わらないのはMT54モーターの渋い響きだけというわけか。

■ローカル電化区間の旅をやってみたい
固めの、とはいえ日立A-Trainよりずっと柔らかい椅子に腰掛けて、ほおづえをつきながら車窓の田園風景を眺めながら、音程の低いMT54モーターのぶーんという感じの駆動音を聞く。レールのジョイントの揺れが伝わって隣の車両との貫通路部分にある渡り板ががちゃがちゃと跳ね上がる。窓の外からは虫の声やカエルの鳴き声も聞こえるし、通過した踏切の警報器の悲しげな音もときおり耳に入る。そこへ車掌の放送が入る「まもなく○×です(ガチャッ)」。

こういう感じがニッポンの電化ローカル線の旅という感じがするのだけど、だんだん窓が一部しか開かないロングシートで自動放送のVVVFのステンレスカーだらけになってきたから……書いていたら乗りにいきたくなっちまった。

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【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S/RFP/1988年2月、富士急行寿〜三つ峠