2012年7月9日月曜日

【小田急8000形ついで撮影記事】やっぱりキミが好き! 小田急8000形をいまさら撮る


■小田急にまつわるエトセトラ
にとって、プライベートや仕事の所用で乗る機会が意外に多い私鉄が小田急だ。幼少期は親戚が小田急相模原駅近くの線路沿いに住んでいて、そこへ遊びに行ったときに、時折そばを通過するロマンスカーが、ミュージックホーンを鳴らしていたことを覚えている。そして、出身大学が沿線にあって都内から通っていた。お洒落で有名なブランド大学ではなく、工学部と医学部は有名だけど、地方の草食ボンボンが多い頭のできのいまひとつアレな学生さんが自分を含めてたくさんいるほうのFラン大学ね。もちろん、江ノ島に何度も行った記憶もある。子どものころにも行ったし、大人になってからもシツレンするたびにカメラを持ってふらふらと「潮風に当たりに」行った。しょっぱいな、それ。


だが、じつをいうとまじめに車両を撮ったことがない鉄道でもある。撮らなかった理由はとくにない。鉄道に趣味としての興味を失っていた時期に利用していたからだ。ほかに強いて理由をあげれば、小田急の裾を絞った電車のボリューミーなデザインがずっと苦手だった。よりあか抜けない、直線的な裾絞りのない通勤型電車のほうに親近感があった。あるいは、千代田線乗り入れの「ガイコツ」9000形以外の「小田急顔」デザインがいまいち気に入らなかったことだろうか。お隣を走る京王はもっと大好きだったけど、あちらで好きなのは裾のまっすぐな6000形だったしね。私はひねくれている鉄道ファンなのだ。みなさんもう大むかしからご存知だったでしょうけど。

■屈折した小田急愛をご開帳
そんなわけでろくに撮ったことがない小田急だけど、気がついたら……いや、もちろんわかっていたけれど……あれほど走っていた2600形、4000形、5000形および5200形といった小田急顔電車が消滅しただけではなく、そもそもステンレスボディの銀色の電車だらけになってしまった。しかも、裾絞りがなく他社と代わり映えのしない、西武沿線住民からするとものすごくスマートで快適な内装だけど趣味的なおもしろみをいまひとつ感じない3000形ばかり。あー、つまんね。なんだかこれでは小田急に乗っているつもりがしない。我ながら屈折していると思うのは、裾絞りのない通勤型電車が好きだったはずなのに、小田急の電車がみなそうなるとつまらないと思うということ。あほなんちゃうか、私。



などと外野がいまさらぶつぶついっていても、単なる偏屈なおっさんの独りごとにしかならない。ブログってそういうものかもしれないけどさあ。いやでもよろしくはない。開き直って偏屈なチラシの裏的な理屈ばかり書いているから陰キャなおっさんって鬱陶しいと思われるのだ。おっさんとは村上春樹みたいにメタファーを使うと、雨の日の野良犬のように誰にも触れられずみなに避けられる哀れな存在なのかも

まあ、そんなことはいいや。いやみなおっさんにならないように自戒の念を込めて頑張りたいと思いまっす!


■前置きだけで2章使うなんてあなた
さて、ようやく本題に入る。先日、横浜方面へ所用で出かけた。町田で友人と待ち合わせての外出だ。ほんとうは小田急に乗る予定はなくて、八王子から横浜線で町田に出るつもりだった。ところが、刃物を持った男が横須賀線車内で暴れるという事件を起こしたために、横須賀線、東海道線、京浜東北・根岸線、そして横浜線が運転を一時見合わせた。横須賀線での事件なのに、ハマ線まで止まっちゃったのだ。早めに出たのに待ち合わせに遅刻してかっちょわるいのなんの。


その運転見合わせという知らせは中央線下り方面に乗っているときに立川の手前で聞いた。そうなったら町田に出るには南武線登戸経由しかなくなる。そこでやむを得ずに登戸まで出て小田急に乗ろうとして、やって来た8000形を見ていたら、むしょうに撮ってみたくなったという勝手な気分の持ち主が私です。俺の知っている小田急が来た! って。

■私はなぜロシア古典文学とプガチョワの歌の歌詞のことを書いていたんだろう
なんだかねえ。プーシキンの『エヴゲニー・オネーギン』じゃあるまいし。むかし、自分を好いてくれた女性がいて、自分だって気になっていたくせに、もっともらしく彼女からの求愛を断った。そのくせ、自分が人生のもろもろに破れたころに、他人の妻になった彼女が気になり求愛をするも、彼女は彼を昔と同じように愛しているけれど拒絶する。「ターニャはお嫁に行ってしまったのです」。覆水盆に返らずですね。いまさら「小田急8000形が好きだ!」と言ったところで遅すぎる。あれれ、いつぞやもこの『エヴゲニー・オネーギン』のたとえをこのブログで使ったことがあるよね。まあいいや。


でも『百万本のバラ』の歌ではないけれど「貧しい絵かきは孤独な日々を送った/けれどバラの思い出は心にきえなかった」のだ。ターニャ(8000形)に拒絶はされるんだけど、それでもオネーギン(ここでは、私?)は幸せなんだよ(たぶん?)。過去の自分に後悔はしている。それを悔やんでも受け入れられることはない。それでも、いまの自分の気持ちを偽ることなく、結果は出なくても気持ちをきちんと表現したのだから。だれですか「男は結果だ」とか長※川※恵の本の中身みたいなことをいうのは。

すみません、相変わらず大げさすぎた。やっぱりあほや。私はそんなには8000形を好きだったっけ。でもまあ、いま走っている小田急の電車の中ではいちばんいいな。だって、アイボリーにブルーの帯じゃないと、「小田急」じゃないんですよ、私にとっては。

だが、ちょっと待ってほしい。小田急8000形が私のことを好きかどうかは関係ないのだろうか。そこのところはまあ察して、痛い筆者のことをそっとしておいてあげて。『カルアミルク』の歌のことでも書いていればいいのにねえ。

そんなことを考えながら途中で乗り換えたシンユリや、帰りの新宿でも少々撮った。なお、この日は友人相手に調子に乗ってだべりすぎて自宅最寄り駅までの終電を逃し、一駅手前から4キロ歩くなんていうことをした。カメラを持っていたおかげで、おかげで退屈しないでよかった。


それにしても、オネーギンの話は自分でいま書いていて身につまされ(以下略)。