2013年9月18日水曜日

【JR中央緩行線・鶴見線1980-90年代】あのころは103系がいた

中央緩行線を103系低運転台車が走っていたことを思い出すのも難しい

■103系電車を思い出すようになるなんて
ふと国鉄103系のことを思い出した。私はオイルショックのころの生まれなので、103系という電車はものごころついてから首都圏の国電区間でもう飽きるほど見てきた電車であり、カッコいいとか好きだとか考えたこともないくらいありふれた存在だった。


でも、たしか幼稚園のころにはATC搭載高運転台車をカッコいいと思っていたと思う。そのころは高運転台車は最新型だったはず。いまの小さい子がE233系電車を見てカッコいいと思うようなものだろう。小さい子と中央快速線のE233系電車をいっしょに見ていたときのこと。私がぽつりと「201系のほうが好きだな」と言ったら、「おとなとちがって、こどもはあたらしいでんしゃがすきなんだよ」と教えられたことがある。小さい子どものほうがリアリストでオトナだった。

■101系電車のほうが好きだったんだけどね
ちなみに、私は昔から101系のほうが好きだ。前面の窓の上下の寸法が大きいところが好きなのだ。103系のシールドビーム2灯ライトも「ブタ鼻」と呼んでバカにしていたっけ。いまこうして見ると、103系は103系のよさがあり、いまの電車より柔和な表情に見えるから不思議だ。いっぽう、101系のほうは、私は現物を見たことがないとはいえ72系クハ79920番台によく似ている。パンタグラフが増設されたスカイブルーの秩父鉄道1000系電車1001編成なんて、富山港線の72系電車を彷彿させるものね。

鶴見線は103系最後の牙城だった

■ふりかえると「ついでの写真」しかないかも
そんな、とりたてて珍しい存在でもなく思っていた103系だから、なにかのついでに写したことしかない。1990年代に大規模修繕がされて、簡易冷房車が登場したころに青梅線や鶴見線で撮ったことはあるだけか。それ以降は2009年ごろまで鉄道を撮るのを止めてしまったので、首都圏から姿を消すころの写真がないのだ。

それでも、なにかのついでに撮ったカットがネガやポジから見つかるとついつい見入ってしまう。写真というものはほんとうにおもしろい。撮影時には気づかなかった価値が時の流れとともに現れるから。

ときどき、あのうるさい音を思い出しては懐かしくなる。ともあれ、懐かしんでばかりいるのもよくない。まずは秩父の101系残党どもの最後の姿をきちんと撮っておければいいな、と思う。

離合しそうだから早めにレリーズしていたのか

【撮影データ】
Nikon F-301/Sigma 75-210mm F3.5-4.5, AI Nikkor ED 180mm F2.8S/Kodak Ektachrome 100