2014年1月10日金曜日

【西武鉄道1980年代】池袋線の101系初期車

分散クーラーの冷房試作車の唯一の写真

■フィルムスキャナのドライバソフトのためにOSアップデートをやめた
私の自宅のメインマシンである林檎計算機のOSアップデートをやめた。というのも、PowerPC系ソフトがまだ残っているから。最新OSではPowerPC系ソフトを動かすことができない。私にとって重要なもののひとつにフィルムスキャナのドライバがある。もはや数世代前のOSからサポート対象外であり、いささか挙動が怪しいことがあるものの、最近またなんとか動くようになった。

■1986年の西武101系電車の写真をスキャンした
そこで、ふと昔の西武線を撮ったネガのことを思い出して、あらためてスキャンしてみたのが今日お目にかける画像だ。ネガシートに書かれたメモには、1986年4月とある。昭和61年のことだ。

当時私は西武池袋線江古田駅と新宿線沼袋駅の中間地点に住んでいた。どちらにも歩ける距離だった。必然的に父親からカメラを借りて写しに行く先は近所の江古田駅か沼袋駅となった。もっぱら気に入っていたのは池袋線だ。というのも、101系電車がお気に入りだったから。そのころ、池袋線に久しぶりの新形式である3000系電車が走り始めたと聞いて、とある放課後(春休みだったかもしれない)に江古田まで行ったのだと思う。

■28年前とはもう「大昔」だった
江古田は数年前にホームが改修され、急行待避線がなくなってずいぶん雰囲気が変わった。駅前商店街の雰囲気は相変わらずだと思いながらこうしてスキャンしたネガを見てみると、だいぶ店が変わったことに気づく。

思えば1986年だから、なんとまあ28年も前なのだ。その頃、昭和30年代や40年代の自分が知らない頃の写真を見て、風俗の古さを感じていたけれど、こうしていま振り返ってみると昭和50年代も相当昔のように思えるから不思議だ。
 
現在は高架線から降りる部分(再掲載)

■昭和30年代の一眼レフの標準レンズはすばらしい
このとき使ったカメラはコニカの一眼レフだ。それもいま思えばエキザクタマウントのような形状のマウントで、昭和60年代にはすでに自動露出に対応した新しいマウントになっていたようから、すでに新品の交換レンズは入手できないフルメカニカルのカメラだった。だから標準レンズだけで撮っている(掲載にあたりトリミングはしている)。

褪色してしまったカラーネガの粒状はともかく、レンズの解像感はその後のズームレンズに比べるとずっと優れていることに気づいた。昭和60年代のエントリーモデル用ズームレンズは解像感ではなくコントラストで絵を作っていたからだ。レンズ技術の進歩とはなんだったのか、と思う。

ちなみに、21世紀のズームレンズはフィルム時代よりも拡大率が高いことを想定して、エントリーモデル用であっても解像力が劣るということはないので、注意されたい。エントリーモデル用ズームレンズが解像力ではなくコントラストで絵を作っていたのというのは、ズームレンズが発展途上だで設計と製造に苦労していた20世紀のフィルムカメラ時代のズームレンズの話だ。コストを下げるために「エントリーユーザーはL版から2L版までしかプリントを伸ばさない」ことを前提に設計していたモデルがあったからだ。だから、当時のエントリーモデル用ズームレンズではいまのデジタルカメラでは解像感が足りないものが多い。
 
環七陸橋からの撮影(たぶん)


「平和相銀」といいマネキンといい、昭和は遠くなりにけり

■西武湘南型は昭和30年代のデザインなのかも
それにしても、101系のこの西武湘南型のデザインは沿線在住の私には見慣れすぎていて「古くさい」と思ったことはなかった。でもこうして見ると、やはり昭和30年代から40年代(101系は昭和44年の登場だが、原型となる701系は昭和38年製造開始)のデザインなのだと思う。

101系は譲渡先からも姿を消したとはいえ、上信電鉄や三岐鉄道で残っている似たスタイルの701系譲渡車は思えば製造後50年近く経ちながらも走っているわけで、よく残っていてくれるありがたい存在と思うべきなのだろう。平和相銀と関係のあった流鉄(当時は総武流山電鉄)に行った101系初期車は、2011年5月にあっけなく姿を消してしまったのだし。

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【撮影データ】
Konica FP/HEXANON 52mm F1.8