2014年2月8日土曜日

【山陰方面2002年】キハ58、米子の夜

米子駅にて

■「出かける」というよりも「旅に出る」というと魔法のようななにかがある
「旅に出る」という言葉はまるで、魔法のような響きを帯びて聞こえる。使うときにもいささかの気負いか、あるいは冗談めかして、気恥ずかしさからもごもごと口にするはずだ。謹み深い人ならたんに「出かける」と言うだけだろう。大仰な感じがするからこそ、魔法のような何かを帯びるのか。

とにかく、行き先はどこでもかまわない。普段の行動半径より遠いところに移動する。それだけでどうして抗い難い魅力を覚えるのだろう。そしてそれはたいていあっけなく終わる。さらに、日時生活が始まると忘れてしまうだろう。

そんなことはわかっているのに、どこか遠くに行くことにわずかな期待を持つのはなぜか。大人になればなるほど、出先でもふだんと生活習慣を変えないことも知っているのに。非日常体験をすることで得られる「プチリセット」への誘惑はかくも甘い。

■自由と孤独
同行者がいない限り、知らない場所に行くなら旅人は寡黙になる。そんなときに思うのだ。旅はほんとうに楽しいものか、とか。

でもその答えは自ずと明らかだ。ふだんから楽しい人なら、どこへ行っても楽しめる。そうでないなら旅先でもペシミズムは追いかけてくるから。

■出先でもやることはいつもと変わらない
出先でも自分の行動は結局はふだんと変わらない。どこかへ出かけるたびにその事実に嫌というほど向き合うことになる。山陰に出かけたときも、結局はどこでも撮ることができそうな光景をフィルムに収めていた。なぜなら、それが私の日常だったからだろう。

伯耆大山付近の工場夜景を車窓から

■このとき乗ったキハ58が忘れられない
それでも、わずかなりともその土地らしさは写っていてほしいと思うものだ。鉄道写真からはなれていた当時の私がキハ58+28を撮ったのは、すでに珍しくなっていた国鉄急行色のキハ58が山陰らしい印象を与えるものだったからだろう。伯耆大山駅付近で見える製紙工場の煙突とともに、この旅で印象に残ったもののひとつがキハ58だった。

【共通データ】
Nikon New F・Ai Nikkor 20mm f/2.8S・Neopan 400 PRESTO(D72現像)