2014年2月26日水曜日

【秩父鉄道沿線駅前散歩】皆野駅前にて


■「秩鉄1010編成ロス」なのだ
最近、ひどい風邪を引くことはかなり減った(*1)。ありがたいことに引いても軽く済む。それなのに、今日は久しぶりに軽い風邪を引いてしまった。秩父1010編成が引退して気が緩んだのか。正直言うと気が抜けたことは確かだ。

1000系電車がなくなってしまうと3月末から何を撮ればいいのだろう、という気持ちはある。鉄道沿線の情緒をもっと撮りたいのに、なかなかできずにいる。でも、アイデアは思いつくことは誰でもできる。実行しないと意味はないからね。目先の電車にとらわれなくなるなら、そうやって周囲に目を向けることもできるはずだ。やってみよう。

■皆野で降りたことがなかった
前も少し書いたことがあると思う。あいだにブランクはあっても20年以上秩父鉄道沿線に通っていたくせに、皆野で降りたことがこの暮れまで数回しかなかった。「皆野町内で降りたこと」なら、親鼻で下車したことがある。



皆野町は歴史のある町だし、急行もパレオエクスプレスも停車する立派な構えの駅なのに。秩父市と合併していないで頑張っているのに(横瀬町や長瀞町もそうか)。いや、結局は私が対象となる鉄道車両しか見えていない「近視眼的鉄ヲタ」(*2)だからにつきる。



■写真撮影や文を書くことは「情報の整理整頓」だ
最近改めて思ったのは、絵心のある人や写真に工夫のある人は、会話や文章にもおもしろさがあるということ。写真術も「目の前にあるものをカメラでどう切る取るか」「どうやって見せるか」「どうカテゴリ分けして人に見せるか」という作業だから。つまり、目の前に被写体としてある情報を整理整頓して、必要な部分をうまく撮影して見せる作業を行なっている。

これは会話や文章でも同様だ。思いついたことすべてを羅列してもおもしろく聞こえない。文章や会話のおもしろさとは、基本的に博識である必要があり、相手の反応に対して伝え方を工夫している結果生まれるものだ。読書量に比例する可能性はあるが、たんに博識であればいいのではなく、必要な情報を適切な形で用いることができるかどうかによる。そういう人は、撮影するときにも、被写体のようすや撮影目的に対して臨機応変にアレンジできるのだろう。

■話術がおもしろくなれば写真も上手になるか
そうか、では話術がおもしろくなれば写真も上手になるのか。その可能性は大いにある。けれど、ネタやジョーク、小話を集めればオッケーというわけではない。などと「写真そのものの上達」ではない怠惰なことを考えたけど、そりゃあちがうな。

【撮影データ】
Nikon 1V1/1 NIKKOR 18.5mm f/1.8/RAW

*1「最近、ひどい風邪を引くことがかなり減った」:ありがたいですねえ。この年になって人並みの健康になれましたよ。つまり、25年も止められなかったTopical Steroidがある時点からは私にはまったく向かなくて、負の作用ばかりしていたということ。慢性病には使えないとされていたはずなのに。おかげで免疫抑制されてしまい、感染症に年がら年中負けていたのだろう。

*2「対象となる鉄道車両しか見えていない『近視眼的鉄ヲタ』」:「鉄道ファン」であるためには、本来ならば鉄道に関する社会状況にまで関心があるべきだと思う。行動するかどうかは別として。関心が広いほうが趣味としても長続きできる。でもそれは、例えば戦前の旧制学校でエリート教育を受けたような「教養人」でしかありえないのだろうか。ディレッタントでもいいとは思う。いっぽう「近視眼的鉄ヲタ」になるのは簡単だ。「おでばかだから難しいことはわからねえけど国鉄101系ばんざーい!」という程度のノリであれば、誰でもなることができる。でもそれでは、子どもの趣味のままではないか。