2014年3月31日月曜日

【国鉄1980年代】大船工場のクモハ12013のこと

廃車直前に大船工場の撮影会で公開された姿

■キミはクモハ12013を知っているか
「クモハ12」といえば、いまとなってはほとんどの方が思い出すのは1996(平成8)年まで鶴見線で活躍した052号車と053号車だろうか。052号車はいまでも東京総合車両センター(旧大井工場)で保存されているそうで、一般公開で見ることができることがあるようだ。リベットの少ない31系電車後期型の053号車が解体されてしまったのは残念だ。

2014年3月30日日曜日

【秩父鉄道7800系撮影記事】三峰口のナナハチ

CTK_series7800_EMU_7801F_001
7801編成はしばしば三峰口にいるのですが

■1003編成三峰口入線最終日にナナハチを撮っていた
先週までの一連の秩父鉄道1000系1003編成(1003F)引退のころ、影森以遠へ1003編成がやって来た最終日の一日前に三峰口を訪れた日のことはすでに記事にした。そのとき、私が三峰口まで乗った電車は7800系7801編成(7801F)だった。

2014年3月29日土曜日

【秩父鉄道C58363PETIT撮影記事】ファーストラン目前に迫る! SLパレオエクスプレス試運転行われる


菜の花を優先してこの場所にしたけど、背景はどうしてもね

■SLパレオエクスプレス試運転に遭遇した
ふらりと尋ねた秩父鉄道では、7800系第4編成(7804F)が運用入りするようすを目撃した日には、SLパレオエクスプレスの試運転が行われていた。事前に情報を得ていたわけではない。「近くに立ち寄るしカメラを持っていくか」と思って熊谷で降り立ったときに、ふと今週末のファーストランのことを思い出し、そういえばそろそろ試運転なのではないか、と思い出して線路際で待ってみたら、運よく遭遇できたというだけだ。

2014年3月28日金曜日

【秩父鉄道7800系撮影記事】ナナハチ第4編成(7800系電車7804編成)運用開始!

CTK_series7800EMU_7804F_01
クララが立った! じゃなくて、7804編成が動いた!

■ふらりと立ち寄った広瀬川原にて
相変わらず時間を作っては高崎線沿線のドクトルに会いに行っている。その帰りにどうせならと秩父鉄道広瀬川原車両基地に向かってみた。特別快速なら熊谷はあっというまだ。ソメイヨシノや菜の花はどんな感じかな、というくらいの気持ちで。

すると……まずは12系客車がいないことに気づいた。ということは、アレです。だが、もうひとつ気になったのは、先日来念入りに手入れをされていた7800系電車7804編成が、パンタグラフを上げていること。

2014年3月25日火曜日

【国鉄・JR東日本101系1980年代】民営化のころの101系電車

1986年10月中野(中央緩行線、クモハ100-191)
鶴見線や南武支線以外にも、国鉄→JR東日本101系電車の写真を少しだけ撮ったことがある。中学生の頃で、中央緩行線にも原型ライトの車両が民営化直後まで存在した。南武線にもたしかわずかに残っていたはずだ。いずれも旧ブログで掲載したものを再掲載する。旧ブログにアクセスしないで見てみたいからね。

2014年3月23日日曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】全12編成を振り返ってみると

秩父1000系1001F国電リバイバルカラー(スカイブルー)
1001編成(2009年11月撮影)

■秩父鉄道1000系電車の全編成を振り返る
意図されてではなく、おそらくはさまざまな理由がたまたま重なったことによる。1957年から1966年にかけて製造され、1986年から1989年にかけて秩父にやって来た1000系電車(国鉄101系電車)は、秩父鉄道の主力として国鉄に在籍していたのと同じくらい、あるいはそれよりも長い期間、秩父の地を走り続けた。

私が鉄道を改めて本格的に撮り始めた(鉄道写真に出戻りした)のが、1000系1004編成と1006編成が運用離脱した2008年春からなので、この2編成の写真だけは譲渡直後のポジフィルムでしか写真がない。冷房化後の近年の姿は記録できていないということだ。

それでも、秩父鉄道公式Webサイト内の特設サイト真似をして、私が収めることのできた1000系電車12編成の写真を貼ってみようと思う。写真キャプションのカッコ内は撮影年と月をしめす。

2014年3月22日土曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】オレンジバーミリオンIIの最後の花道「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」

秩鉄1003Fオレンジ貸切臨電001
いよいよこの週末で運用離脱

■「さよなら1003F貸切り&撮影ツアー」に行ってきた
の最後の話について記すべくペンを執るのは、とても胸が痛む。

……とは、コナン・ドイル作シャーロック・ホームズシリーズ『最後の事件』のもじりである。モリアーティもモジリアーニ(オヤジギャグ!?)も登場しないし、さいわい誰も滝壺に落ちたりはしない。日本の武術「バリツ」などというものも使わない。いったいどういうものなのだろうねえ。

そして、このブログはまだ続くのだよ、ワトソン君。

などという前書きは要らないね。お仕事の文章ではないのだから。さて、このところ連日記事にしている秩父鉄道1000系1003編成「オレンジバーミリオンII」は、週末の貸切臨時電車「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」ですべての運用を終える。最後の晴れ舞台でその勇姿を見せてくれた。私は初日に参加した。そのもようを記す。

2014年3月21日金曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】秩鉄オリジナルカラー時代の1003編成(1003F)

秩鉄オリジナルカラーの1003F 影森
2010年11月

■秩鉄オリジナルカラーの1003編成を振り返る
3月20日木曜日の午前中で通常運用を終えた秩父鉄道1000系1003編成(1003F)オレンジバーミリオンII。いまごろはおそらく連休中の「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」に向けて、熊谷駅の留置線に停泊しているのだろうか。2011年夏にまさかのオレンジバーミリオン塗装化がなされるまでは、秩鉄オリジナルカラーで走っていて、その頃は他にも国電リバイバルカラーもいたから、「1003編成をとくに狙う」という人は少なかったのではないか。この色のファンはもちろん、撮影対象にしていただろうけど。

2014年3月20日木曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】1003編成(1003F)オレンジバーミリオンII、夕暮れの三峰口にて

終点はもうまもなく

■河岸段丘沿いを走って三峰口へ
武州日野から先の荒川沿いの河岸段丘に敷かれた線路を秩父鉄道の電車は車体をくねらせるようにして走る。終点のひとつ前の白久からはぽつぽつと人家が建ち並び、路地裏をぬうようにしてゆっくりと電車は歩みを進め、やがて最後の直線区間でラストスパートをかけると、終点の三峰口だ。

2014年3月19日水曜日

【秩父鉄道7800系撮影記事】ナナハチ縦横無尽に走る!

秩父の新しい仲間ナナハチ

■秩父鉄道7800系電車、略してナナハチ
昨年春に登場した秩父鉄道7800系(勝手に通称「ナナハチ」)はいまや3編成を数え、すっかり秩父路の小さな主役……いや、主役は7500系か。短い脇役(?)として小回りの効く編成長を活かし、三峰口〜影森と北武区間の末端部を中心に走り回っている。1003編成が週末に引退したらおそらく第4編成も運用入りするのだろう。

2014年3月18日火曜日

JRダイヤ改正の朝に考えた

ダイヤ改正当日の朝、大宮
週末のJRダイヤ改正のことを金曜日まで失念していたほど「うっかり」な私。定期列車としては寝台特急「あけぼの」が廃止になること、となるとEF64型1000番台が牽引する定期旅客列車がなくなること。あるいは高崎線を走る185系が新宿発を除いて定期列車から引退すること。高崎線の211系や埼京線の205系が引退することなど。あるいは、中央東線への211系の運用開始など、おそらくもう私にはそうそう気にならない事項だったのだろう。

2014年3月17日月曜日

【秩父鉄道1000系記事】1010編成(1010F)「おわり」


■運用離脱後の1010編成
秩父鉄道1000系1010編成(秩鉄オリジナルカラー)は、予定されていた引退イベントを待つことなく計画通りに運用離脱し、その翌日に広瀬川原まで自力で廃車回送してきた。すぐに無架線地帯に運ばれ、すぐさま解体されるのかと思えば……3月15日現在、部品は取り外されているものの、まだ車体に刃を入れられてはいなかった。

2014年3月16日日曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】オレンジバーミリオンII1003編成(1003F)、"Final Run"ヘッドマーク掲示中


■ヘッドマーク掲出中の姿を撮る
昨日のエントリーでも記した通り、秩父鉄道1000系1003編成オレンジバーミリオンIIは、20日(木)まで通常運転を行い、18日(火)午前中までは"Final Run"(ファイナルラン)ヘッドマークを掲示するという。特製されたヘッドマークは色合いもよく似合い誇らしげだ。なお平日は日ごとに仕業が異なる。公式Webサイトにダイヤも公開されているので、訪問される方は参照されたい。

2014年3月15日土曜日

【秩父鉄道デキ撮影記事】赤+青+茶! デキ103+301+505回送に遭遇!

なんじゃこりゃああ!

■1003編成ももうまもなく運用離脱
3月23日(日)の秩父鉄道1000系1003編成オレンジバーミリオンIIの運用離脱を前に、「ファイナルラン」ヘッドマーク(『フィナルルン』ではないですよ)を掲示しての運行がなされている。週末以外にも20日(木)までの運行予定も公式Webサイトに公表されるなど、1003編成はいまや運用離脱へ秒読み段階に入ったといえるだろう。

2014年3月13日木曜日

【都電荒川線PETIT撮影記事】主力7000形


都電荒川線7000形は、いまでも荒川線の主役だ。荒川線の2013年2月現在で19両在籍するといい、実際に乗ってみても「なるほど、減ってはいてもいちばん多いのだな」と思わせる。23区内で吊り掛け駆動音を聞かせてくれる電車としては唯一の存在で、思い出してはときどき乗りにいく。

2014年3月12日水曜日

「あの日」のことをふと思い出した

2011年3月11日21時37分、下落合駅にて
2011年3月11日のあの日のことは、東日本の人はいまでも鮮明に覚えているだろう。首都圏の人は被災地のようすが報じられるまでは、電車が動かないけどまいったな、くらいの軽い気持ちで最初はいたと思う。私も、東京駅近くの当日勤めていた会社から歩いて都心部を抜けて、日比谷公園まで歩くにつれその人波の多さに戸惑いつつも、まだそうひどいことになっているとは思わなかった。歩き疲れて途中で休憩した新宿区コズミックセンターで見たテレビニュースで被災地の惨状を知って、初めて不安になった。

2014年3月11日火曜日

【ソビエトカメラチラシの裏記事】Kiev中判カメラを記事にできない理由 その2


初期型のロゴが好き

■寝床でワシも考えた
前回のエントリーでくどくどくどくどと「Kiev中判カメラを記事化できないのは、私は好きすぎるから」「好きな理由は説明できない」「だからなおさら簡単には勧められない」そして、「とはいえ私の好きな道具なので、モノを知らない奴に貶されるのは不愉快だ」「ソ連やロシア文化圏を見下すひとには向かない(*1)」(←言ってないか)と、自己意識肥大すぎる文章をしたためた。

そのあと、一風呂浴びて床に就いてから「お勧めできない最大の理由」を思い出した。文章を書き終わってようやく思い出したところが、いかに私がKiev中判カメラに対して冷静ではないことがご理解いただけると思う。こうなっちゃいけないだろ、やっぱり。

2014年3月10日月曜日

【ソビエトカメラチラシの裏記事】Kiev中判カメラを記事にできない理由

これはうちの近所の飛行機ですよ

■グレートゲームいまだ終わらず
ウクライナの政治情勢がきな臭い。首都キエフではEU加盟を巡り政変まで起きた。

「キエフ」という日本語のこの言い方はおそらくはロシア語や英語のКиев/Kiev(キーイェフ)が由来だ。ウクライナ語ではКиїв/Kyivとつづり、「キーイウ」と発音する。ただし、日本語の慣用例にしたがい本文ではキエフと表記する。なお意味は「キーイの町」。キーイとはこの町を建設したとされる伝説的な人物の氏名。以下の人名や地名も基本的にはウクライナ語ふう発音ではなくロシア語ふう発音から日本語の慣用となった表記をする。

いっぽう、フルシチョフ時代にロシアからウクライナへ割譲されてロシア語を母語とする住民が多いクリミアには、国籍票のない正体不明のロシア軍特殊部隊らしい武装勢力(リトル・グリーンメン/вежливые люди)が侵攻し自治政府やシンフェローポリの空港を制圧したとか。

2014年3月9日日曜日

【西武西武園線PETIT撮影記事】夕方の支線にて

フィルムだとハーフNDフィルターが要るよね
どうも体調が思わしくなく、細かい用事もあるうえに、なんといっても首もまわらないので(比喩ですよ。でもそれはいつもだ!)好天の週末にもかかわらず自宅付近にいる。でも、夕方は散歩に出た。今日は白い新101系ではなく新2000系がうろうろしていたので、「真面目に撮る」のではなく、いろいろ遊んでみた。

2014年3月6日木曜日

【富士急PETIT撮影記事】富士急1200形(元京王5000系)を撮る


■京王5000系電車は好きになれなかった
何度か書いているけど、私は京王線の電車といえば名車5000系よりも6000系が好きな人間だ。京王帝都電鉄(当時)の高速化に果たした役割は大変大きいはずで、登場時には恐らくたいへん斬新だったろう5000系は、私が物心ついたときには「半端に古めかしい電車」に思えたからだ。2000系列の「京王グリーン車」ははっきり「古い電車」だったで興味はあったのに。だから、京王5000系列を写したことがなかった。京王帝都電鉄の高速化と大型化に寄与したエポックメイキングな電車であったことは知識として知っているのに。

2014年3月5日水曜日

【西武2000系初期車撮影記事】多摩湖北線で2000系初期車を撮る

あれ、2413編成!

■ぜんぶ雪のせいだ
あの大雪のおかげで、先月上旬のことが相当大昔のように思えてならない。それほど強烈な印象を与えた積雪だったということなのだろう。今回のエントリーでお見せする写真も先月の上旬に、新101系を見るために多摩湖北線を訪れたときのものなのに。ずいぶん前に写したもののように思えるから不思議だ。

2014年3月4日火曜日

【秩父鉄道5000系撮影記事】シブい5000系、けっこうレアかも


3月末で秩父鉄道1000系1003編成が引退したのちに、従来からの秩父党とシブい電車が好きな私鉄ファン、そして都営地下鉄ファンが注目するであろう電車が5000系だ。いや、1000系の引退いかんに関わらず、好きな人は好きなのだよな。というのも、前回のエントリーは予想以上のView数を得て大変驚いたのだ。とはいえ、チョッパ制御車の元東急車たちのなかで抵抗制御のスキンステンレス車として3編成だけ走るレア感もあり、昭和40年代テイストのデザインである5000系をちゃんと撮ろうというファンには、その活躍ぶりは気になる存在だと思う。

2014年3月3日月曜日

【思い出の西武新101系】新101系と雪の日

2010年2月の雪
■雪の日の写真を探してみたら
回のエントリーで「西武新101系と雪の組み合わせで撮った写真が少ない」と書いて、改めてハードディスクを探してみた。やはり少ない。ここ数年は積雪しても首都圏では翌日には融けてしまうような量だったし、そもそも平日に降ることが多くて沿線にカメラを持って出ることができないことも多かった。

2014年3月2日日曜日

【秩父鉄道6000系撮影記事】走れ急行「秩父路」

急カーブと勾配をそろりそろりと走る
秩父鉄道の三峰口〜影森間の運転も再開され、運休していた急行列車も走り始めているから、元西武新101系電車である6000系も、その俊足ぶりを再び発揮していることだろう。

2014年3月1日土曜日

【秩父鉄道1000系関連記事】1003編成(1003F)オレンジバーミリオン、土日固定運用と引退イベント発表……。


■最後の運用発表される
秩父鉄道1000系の最後の一編成である1003編成オレンジバーミリオン(1003F)の土日固定運用が改めて発表になり、3月21日(金・祝)、22日(土)、23日(日)の3日間は臨時貸切列車として引退イベントが行われるむねが、秩父鉄道より発表された。