2015年5月15日金曜日

【上毛電気鉄道撮影記事】ニコンF3を目にして、京王3000系に思いを馳せる


■Nikon F3をさりげなく使うひとにあこがれる
昨日、打ち合わせに行ったエディトリアルデザイナーさんの事務所の本棚に、Ai Nikkor 50mm f/1.4SつきとおぼしきNikon F3が置かれているのを目にした。ボディ各部がはげ、ファインダー外装には軽い打ち身がある。長く使われたように見える。そのようすがとてもかっこよかった。

ニコンF一桁フラッグシップカメラのうち、F4を多用した私自身にはF3は縁遠いカメラだ。F3は長い間製造されてユーザーが多いことも知っている。それでも、好きなのはもっぱらF2というへそ曲がりなニコンユーザーだ。だから、私には「F3を熱く語るニコン好き」に対して斜に構えて見ているところがあるかもしれない。

けれど、私が尊敬するF3ユーザーはみな、もの持ちがよくてアクティブにドキュメンタリー的ないい写真を撮る、そしていちように精悍なひとたちが多い。彼ら/彼女らの撮る写真にひかれると、F3をさり気なく、けれどきちんと使うひとたちを見ると、尊敬の念がわく。

Nikon F3の角張ったジウジアーロの手がけたデザインは、2015年になって振り返ると、1970年代終わりから1980年代のデザインを見るようで、いまなら素直にかっこいいと思える。けれど、1980年代から1990年代の私にはありふれたものに見えたから、いまひとつ好きになれなかったのだろう。同時代にそのよさに気づかない私の感覚が凡庸というわけだ。

■京王3000系電車もまたさりげない名電車かも
ここでものすごく強引に話を変える。京王井の頭線3000系電車もまた、1980年代から1990年代の少年だった私には「あかぬけなくて凡庸な電車」に思えてならなかった。いかにも昭和20年代から30年代ふうの湘南型の正面スタイルで、細かいちがいはあるものの昭和37年から平成3年にかけて作られ続けたというのは、子ども心には「新しいのか古臭いのかよくわからない電車」に見えた。



■「凡庸で平凡に見えるものはじつは優れている」のかも
「あたりまえのようにある、ありふれたもの」「凡庸に見える」「平凡なもの」などというものは、存在しないのだ。そう気づかされたのは大人になってからだ。あたりまえに思わせるものごとが「あたりまえ」であり続けるには、私たちが目に見えないように努力をしているひとたちがいるのだ。

思えばNikon F3はNikon F4よりも長く作られ、ニコンF一桁機初のAE搭載機ながらも、その頑丈さはよく知られるところ。いやもちろん、Nikon F4もとても頑丈なカメラではあるけれど、外装が真鍮であることもあってNikon F3のタフな印象はとても強い。

Nikon F3の話を前振りにして、京王3000系の話をするとはむりやりな力技だと我ながら思う。このときは借りていたNikon Dfボディで撮影しているから、Nikon F3やNikon FE、Nikon FM系の1970年代終わりから1980年代テイストのカメラを見て「永らく続いたNikon F3の治世」という連想が、どういうわけか京王3000系電車→上電700型電車という連想に筆者自身の頭の中にだけ結びついたからなのだろう。

■Dfは少し特殊な位置づけにある
Dfはちなみに、クラスわけの範疇に収まらないカメラだ。Nikon D4同等の撮像素子と画像処理エンジンを用い、主要部分はNikon D600を利用しているので、使い勝手はミドルクラスに近く、Nikon F3よりもNikon FE系のカメラを使っているような気持ちになる。頻繁にモデルチェンジしないでも困らないカメラだともいえる。位相差AFの性能はD750やD810なみにもう少し頑張ってくれたらいいとは思うけれど、それらの機種の登場以前に発売されているので、それはやむを得ない。

角ばったデザインのおかげでこういう古いAFレンズもよく似合う

F3だけではない「歴代ニコンのいろいろな機種」を彷彿させる

さて、いつもお世話になっているおっとっとさんの「地味鉄庵」では、北陸で活躍する元京王3000系(片開き扉の初期車も!)の姿を披露されている。元井のヘッド頭線3000系電車は各地の都市郊外で通勤通学輸送を担う地方私鉄に高く評価されているのだということがわかる。メンテナンス込みで売る京王重機の営業努力だけではないだろうから。

【撮影データ】
Nikon Df/AI AF Nikkor ED 300mm F4S (IF), AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR/RAW