2015年7月30日木曜日

【流鉄流山線PETIT撮影記事】夜の流鉄を撮る


あれはもう、1年以上前になるのか。Sony Cyber-Shot RX100IIIを持って夜の流鉄流山線を訪れたことがある。都心での用事の帰りに、新松戸=幸谷から小金城趾までの一駅を歩き、小金城趾から一駅だけ戻って帰ってきただけの、わずかな訪問だ。

2015年7月29日水曜日

【西武池袋線PETIT撮影記事】笑電2連にもの思う


もうだいぶ長いあいだ、西武池袋線を撮っていない。つまり、新101系が池袋線の営業運転をやめて以来だから、2012年末から。もちろん、乗ってはいる。東京メトロ副都心線を介した5社相互乗り入れにより西武線内で見かける車種も増え、さらに、各種ラッピング電車も走っているので、乗るたびに9000系9003編成"Red Lucky Train"や6000系6157編成「黄色い6000系電車」、西武10000系10105編成"Red Arrow Classic"、あるいは東急5050系4000番代4110編成「東急ヒカリエ号」と離合しないか探すくせに。

2015年7月20日月曜日

【写真生活チラシの裏記事】例のバイブルを手に


先日のエントリーでも言及した本が、思わぬかたちでたいへん安価に手に入った。とてもうれしい。なにしろ、1988年に出た本で、おまけにインプレスグループになる前の山と渓谷社の本だ。そして、おそらく当時でもそうそう部数が出たとはとうてい思えない。1988年で1,800円という価格がついているところから、部数の少なさは想像がつく。

【秩父鉄道撮影記事】秩父ジオパークトレインにて考えた

ほんの数秒前に左からシカが線路を横切った(dp3 Quattro)
秩父の土地利用状況のうち、約84%が森林なのだそうだ。それは、ジオパーク秩父のWebサイトを見ていて知った。そして、パレオエクスプレス5001列車を雁行して走り、秩父で追い越す運用に入っていた秩父鉄道7500系7502編成「秩父ジオパークトレイン」に乗っていて、そのことを改めて思い知ることになった。

冒頭の写真は浦山口の浦山川橋梁を渡り始める列車から撮ったことは、秩父鉄道を訪問されるお仲間のみなさんにはすぐにおわかりだろう。このカットを撮るほんの数秒前に、橋梁の向こう側をシカが横切ったのを見て、私はとても驚いた。タイフォンを鳴らして徐行して橋梁を渡った列車の車窓から右の木立に目をやると、黒い瞳をこちらに向ける2頭のシカがいた。

2015年7月16日木曜日

【JR八高線撮影記事】鹿山峠にて、1990年代

東飯能から歩いて聖望学園の前あたりにて
JR八高線は関東平野の端、山地のはじまる境のあたりを走る。そのため、金子前後で加治丘陵(入間市と青梅市、飯能市の境)を越え、さらに東飯能から高麗川にかけては高麗丘陵を越える。そして、そこから先は寄居にかけて毛呂山や比企丘陵のあたりを抜けるために、金子から東飯能、高麗川から寄居にいたるあいだに最大20‰程度の勾配がある。八高線でもっとも標高が高い地点は、入間市の金子付近だ。

私は世代的には現役の蒸気機関車を見ていないが、八高線が無煙化(1970年)されるより前に「東京近郊で最後に蒸気機関車が走っていた」1960年代には、この金子周辺の加治丘陵越えと東飯能〜高麗川の高麗丘陵越えをそれぞれ、「金子坂」「鹿山峠」と当時のファンが呼んでいたようだ。とはいえ、1999年の貨物列車の廃止以降は八高線には定期貨物列車が走ることもなくなって、とくに電化された八王子〜高麗川ではDD51が乗り入れるようなこともなくなり、これらの撮影の名所には通勤電車しか走らないいまとなっては、もはや金子坂とか鹿山峠という名称もいささかノスタルジックなものに思える。ふだんは金子坂や鹿山峠をめざすファンも少なかろう。103系3000番台の撤退時や201系電車の中央線直通列車の廃止などの際には、これらの場所に撮影者が急に増えたのだろうと容易に想像できるが。

それにしても、D51やC58を運転していた当時の乗務員は苦労したことだろう。電化されたいまとなっては、209系電車と205系電車がどちらもかるがると越えていく。かろやかに加速していく電車に揺られて金子や高麗川を通るたびに、そう思う。

2015年7月15日水曜日

【JR八高線撮影記事】入間川橋梁、1990年代

相模線電化後に八高線にやって来た相模線色のキハ30
前日の記事に書いた、約25年前に撮った写真をお目にかけたい。旧ブログでもアップしたことがあるので、いずれも再掲載だ。その記事を加筆して再掲載しようかと思ったものの、新たに書くことにする。

撮影はいずれも1992年8月のはずだ。フィルムはPKR(コダクローム64プロ)。大学生になったばかりの夏休みなのにアルバイトもせず、したがって遠出する余裕もなくて、高校生の頃の同級生と近場をうろついていた記憶がある。中学生の頃から大学生にかけて、まだ非電化だった八高線は私には、そう遠くないのに遠出した気持ちになることができる路線だったからだ。なにしろ、八高線は当時首都圏で最後の非電化路線だった。

2015年7月14日火曜日

【JR八高線撮影記事】入間川橋梁にて


ふと思い出して久しぶりに八高線の入間川橋梁へ出かけた。私にとってはどういうわけか、ときおり乗りたくなり、思い出しては訪ねたくなるのが八高線だ。わりとよく乗るほうかもしれない。

久しぶりに西武池袋線元加治より入間川に出て川沿いに歩いてみて、入間川が阿須方面へ蛇行しているために、川沿いでは意外と距離があることを忘れていた。そういえば、同じように元加治から川沿いを歩いたのは……もう25年くらい前のことだった。元加治から歩き始めたこと、暑い日だったこと、撮った写真のことや一緒に歩いた友人のことは覚えているのに。

そして、数年ぶりに八高線を見渡す阿岩橋(あいわばし)に立ってみたら、橋が架け替えられていて驚いた。なんでも、交通量が多いのに橋が狭いために数年前に架け替えられたとのことだ。考えたら、ここ数年は対岸の阿須運動公園とあけぼの子どもの森公園(ムーミンの家がある)にばかり行っていて、この阿岩橋を渡っていなかった。

2015年7月13日月曜日

【チラシの裏】梅雨晴れを待つ


この週末はようやく晴れ。もう待ちくたびれたよ! という気持ちだ。けれど、あいまのどんよりした日も夕焼けは美しかったっけ。何回かカメラを持っていて遭遇した。

2015年7月9日木曜日

【チラシの裏】なにかを思い出すような


連日の降り止まない雨にいささか食傷気味だ。梅雨だし、植物のためにも夏に渇水しないためにも、適切な降雨は必要だし、気温が高くないのはありがたいのだが。そのためか、連日なにかともの思いにふけることが多い。仕事をしながら。

先日は、秩父に行った際にふと思いついて急行『秩父路』に揺られた。北武区間から御花畑まで乗るとそれなりに乗りでがある。そして、旧西武新101系由来のモーター音の唸りを聞きながらなにを撮るでもなくカメラをときおり車窓に向けていた。

2015年7月2日木曜日

【チラシの裏】京王「帝都」電鉄に乗りたい

懐かしきかな京王競馬場線6000系リバイバルカラー(2010年8月)
今年ももう7月を迎えた。ああ、時の流れの速さにじつに、じつに驚くばかりだ。

少年易老學難成
一寸光陰不可輕

という詩の作者はじつはよくわかっておらず、いろいろな意味があるらしいという説もあるとはいえ、従来の定説とされてきた解釈にここであえて従えば、もう少年どころかおじさんになってひさしい筆者はいっこうにお利口にもならず、満足のいく学も身につかないまま。仕事の成果もアレなまま、どんどんと時が流れて行く。これでは『永遠のゼロ』ではなく『永遠にゼロ』じゃないか、私じしんが。

などと、パソコンに向かいあれこれと仕事をしながら考えごとをしていて、Youtubeをザッピングした。そうしてなにげなく、最近ブレイクしているグループ「ゲスの極み乙女。」のビデオに行き当たった。それを見ていて、京王競馬場線の府中競馬正門前駅でロケされていることに気がついた。2連の7000系電車が画面に映り込んでいる。ああ、そういえば! 京王競馬場線! 私はすっかりその存在を忘れていた! 6000系電車が最後の活躍をしていた頃に出かけて以来だから……最後に夜に立ち寄ったのが2011年1月で、昼間乗ったのが2010年8月とは。