2016年2月8日月曜日

【西武鉄道1990年代】西武時代の西武401系電車のこと

西武新宿線小平〜久米川、1990年6月

■1990年ごろの西武401系電車を見たくなった
前回のエントリーで元西武401系電車である上信電鉄150形電車クモハ151-クモハ152編成のことを書いたら、旧ブログでお見せした西武401系電車の写真を見たくなってしまった。いくつかの記事にあったものをいまだ復活させていないので、記事を改めて写真をアップすることにする。したがって、いずれも写真は再掲載だ。ただ、残念ながらこのほかには西武401系電車を撮影したカットはそう多くない。

401系は末期は西武新宿線の601系・701系・801系電車の増結用車両として用いられていた。私が西武新宿線を通学で使っていたのは1988年から1994年まで。そのうち、鉄道を撮っていたのは1991年までだと思う。401系は1990年から廃車が始まったので、いわば新宿線で活躍する末期を見ていたはず。また、本線系統から離れた多摩川線にも数編成がいたようだが、その姿は自分の目で見てはいない。そのために、カメラを意識して向けるようになったころは新宿線でも編成本数が減って少しずつ捕まえにくくなり始めた時期のはずだ。うまく写せたカットが少ないのはそういう理由だ。

■あいかわらずの「奇数偶数」問題
さらに、新宿線での連結方向は基本的には西武新宿方であっても、本川越方になることもあり、いまひとつ法則性が見いだせないことも撮影カット数が少ない理由だ。401系はのちの101系と電動車の「奇偶の関係」が異なる。

奇偶の関係とは本ブログでも何度か言及したことがあるが、かつての西武鉄道のM-M'ユニットを組む新性能車の形式付番ルールでは、電動車は「ブレーキ機構をおもに積む車両」「パンタグラフ、制御器、抵抗器などの電気関係の機材を積む車両」とで2両一組だった。このうち前者は401・601・701・801系では奇数の番号になる電動車(クモハ401、モハ701、モハ701-1、モハ801……となる)で、後者が偶数の番号になる電動車(クモハ402、モハ702、モハ701-2、モハ802)だった。これが、現在残る101系と2000系では奇偶の関係が逆で、奇数の番号の電動車にパンタグラフがある。

そして、401系は池袋方、本川越方に連結されないとパンタグラフのある電動車が先頭にならないが(偶数だから)、新101系と2000系では反対側の飯能方、西武新宿方に連結されないとパンタグラフのある電動車が先頭にならない(奇数だから)。

そして、1990年6月までは多摩湖線国分寺口(多摩湖南線)は国分寺駅ホーム有効長の関係で最後の17メートル車351系3連が活躍していたが、非冷房の旧型電車であったために夏場は冷房改造された401系2連が充当されることがあった。西武線内で2連のまま営業運転を行うことはほかになかったので、それを見るために夏場に多摩湖線を訪れたことがある。このころから、短編成の電車が好きだった。

昭和60年代終わりから平成初期であっても、すでにこの顔つきはいささか古めかしいと思っていたし、2連パンタグラフをかざす先頭車があることも好ましく思えた。国鉄101系電車や、それを改造した晩年の秩父鉄道1000系電車に夢中になった素地はすでにこのころにあったというわけだ。

■2連で走る姿を見たことがほとんどなくて
冒頭のカットは新宿線上を2連のまま走っているところだが、南入曽車両基地から多摩湖南線への送り込み回送だったのだろう。おそらく、鉄道誌の短信ページかなにかで送り込みの運用についての記事をたまたま見つけて、小平霊園向かいの沿道にでかけたのだと思う。

冒頭のカットを撮ってから後追い

新宿線本川越方に連結されたところを流し撮り(1990年?)

多摩湖線内での活躍(1990年)

351系ではなくてがっかりしつつもけっこう好きだった

■高崎へ行け高崎へ
新宿線内で701・801系とともに写した姿が少ないのは、おそらくいま思うに、西武新宿方に併結されるとパンタグラフなしのクモハが先頭になること。そして、いつでも撮れると思っていただろうことも。後期型の張り上げ屋根の編成をほとんどまともに写していないことも悔やまれる。

それでも、こうして数カット写しているのだ。そして、高崎に行けば色が変わっても走っているのはありがたい。

【撮影データ】
Nikon F-301 /AI Nikkor 85mm F1.4S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S/Kodachrome 64, Fujifilm NEOPAN 400 PRESTO/Adobe Photoshop CC